中国の大手検索エンジンBaidu(バイドゥ/百度)を創業したロビン・リー(李彦宏)。彼がどのような人生を歩んできたのか、振り返る。
幼少時代
0歳頃 中国山西省陽泉市で出生
- 工場労働者の両親の元、5人兄弟の4番目で生まれる。兄弟の中で唯一の男がロビンだった。
- ロビンは、幼稚園に通うことなく、2人の姉から勉強を教わった。
- 幼いころに演劇に魅了され、陽泉にある劇団に所属していたが小学校に入学したことを機に劇団を辞める。
学生時代
8歳頃 陽泉一小学校に入学するが、2ヵ月で仁東化学工場の児童学校に転校
- ロビンは、両親が働く工場の中にある児童学校で小学校時代を過ごすことになった。
- ロビンの特徴は、自分の興味があることに対しては非常に熱心で、小学校ではオペラにのめり込んでいた。
- 進学先の中学校は、演劇学校に申し込もうと本気で思っていたほどだった。
- クラスのサブリーダーを務めていたが、当時の教員の目には、ロビンが後にBaiduを創業するような特別な逸材のようには映っておらず、普通の生徒に見えていた。
中学校入学
- 中学1年時、ロビンは、同級生の影響を受けて、勉強を放棄し、遊びほうけていた。
- 中学2年時、そんなロビンに対し、父親に激怒され、ひどく反省する。さらに、先生から「周りが一生懸命勉強している中、遊んでばかりいるあなたは有名な高校に行けない」と言われ、見返したいと思うようになる。
- 中学3年時、姉が北京大学に入学し、地元でスター扱いをされる姿を目にする。そんな姉から「陽泉の外の世界はとても面白いんだ、あなたも一生懸命勉強して、大学に行き、将来の視野が広くなるように陽泉から出ないとダメだ」というアドバイスをもらい、自分も北京大学に行く決意をする。
- 最終的に北京大学に入学することを目標に掲げ、高校は有名な進学校に行くことを決意し、猛勉強する。
16歳頃 地元で最難関の進学校である陽泉一中高校に入学
- ロビンは、高校に第2位の成績で入学した。
- 中学の教員は、あれだけ勉強することを嫌ってきたロビンが、地元で最難関の高校にトップレベルの成績で入学したことに非常に驚いた。
- その後、学校のテストでも、学年1位になったり、悪い時でもTOP10に入るなど優秀な学生に変貌を遂げていた。
- ロビンは、歴史と地理に興味があったが、文理選択の際には、躊躇なく理系を選んだ。理由は、「理系科目ができれば、世界のどこに行っても仕事が手に入り、生きていけると思っていたから」だった。
16歳頃 初めてコンピューターに触れる
- ロビンが初めてコンピューターに触れたのは高校1年の時だった。
- ロビンの高校には、市内で唯一AppleⅡを設置したコンピュータールームがあり、市内の高校生の中でいち早くコンピューターに触れる機会を得た。
- キーボードで英語の単語や記号を入力するだけで、指示に従って回答が得られる素晴らしさに魅了され、それ以来コンピューター室の先生に教えてもらいながらコンピューターのスキルを磨いた。
- ロビンは、間もなくして、山西省の州都太原で開かれた高校生コンピューター大会に、陽泉市の代表として自信満々で参加したが、結果はよくなかった。
- 自分がなぜ上手くいかなかったのか最初は理解できなかったが、太原の書店に入ったときにその答えが明らかになった。太原の書店には、陽泉にはないコンピュータの本がたくさんあったのだ。
- 太原の学生達は、これらのコンピューターに関する本で学び、大会に出場していたから自分よりも強かった。自分の周辺だけが全てではなく、自分が置かれている環境によって得られないものが存在するという事実に直面し、ロビンは衝撃を受けた。
- 同時に、中学生の時に姉が自分に言っていた「外の世界」を初めて認識することになり、ロビンは益々北京大学に行かなければと思うようになった。
19歳頃 北京大学図書情報(現:情報管理)学部に入学
- 陽泉市の全国普通高等学校招生入学考試でトップの成績をたたき出す。
- ロビンは、中国の最高学府で図書情報学を専攻したが、徐々にここで学ぶ学問に退屈さを感じてしまう。
- 幸い、北京大学は他の学部の授業を受講することを勧めていたので、コンピューターサイエンスの授業に出席したりしていた。ロビンは授業を受けつつ、この分野は将来確実に伸びると感じていた。
- 当時、大学生の間では、北京大学卒業後に政府機関に入ることが最適な選択であると考えられていたが、ロビンにとってその選択は自分の望むものではなかった。
- ロビンにとっては、大学卒業後に新たな刺激を求めて海外に行くことの方がむしろ自然な選択であった。
- 大学3年時、アメリカ留学を決意した。留学のために必要な英語(TOEFLやGRE)を1日中図書館で勉強していた。留学のため、遊びを捨て去り、教室、図書館、ベッドを往復するだけの日々を繰り返した。
23歳頃 米国ニューヨーク州立大学に入学
- ロビンは、北京大学卒業後、コンピュータサイエンスの博士号を取得するために米国ニューヨーク州立大学院バッファロー校に進学した。
- 英語は元よりコンピューターサイエンスも専門ではなかったロビンにとって、留学は非常に過酷なものになった。昼間は授業に出て、夜は深夜2時まで英語とプログラミングの勉強をする日々だった。
- しかし、ロビンにとってそこまで頑張らなければならない理由があった。
- それは、研究室に入る際の面接の一幕で起きた出来事だった。面接担当の教授はロビンに対し、「中国から来たんですね、中国にコンピューターはありますか?」と質問してきたのだ。1990年代の中国にはもちろんコンピューターはあったし、ロビンはその時自国が屈辱されたように感じた。
- それ以来、ロビンはいつの日か中国人の生活を変えるために自分の手で高度なテクノロジーを中国にもたらそうと夢見ることになった。これは、ロビンが後にアメリカでの安定した生活を捨て、中国に戻ってBaiduを設立する理由にもなる大きな出来事となった。
私の留学は順風満帆ではなかった。(中国で先行していた情報管理からコンピューターサイエンスに)専門を変更したので、初めのうちはほとんど宿題をこなすことができなかった。とても焦っていたので、時には自分がよく理解できていない領域に関して教授に相談しに行ったんだけど、(質問もうまくできなうので)結果的に教授は僕のことをデキない学生だと思っただけだったでしょう。
今思い出しても、当時の経験は非常に苦い経験だけど、若い時には苦しむべきだと思う。
(出典:http://wemedia.ifeng.com/88169565/wemedia.shtml)
米国松下電器でインターンを経験
- ロビンは、米国松下電機での3か月のインターンの経験が、その後の人生を左右する重要な経験になったと語っている。
社会人時代
26歳頃 博士課程修了を諦め、修士号を取得して大学を卒業。IDD Information Servicesに就職
- ロビンは、Dow Jones and Companyのニュージャージー部門であるIDD Information Servicesに入社し、そこでThe Wall Street Journalのオンライン版ソフトウェアプログラムの開発と検索エンジンのサイトスコアリングアルゴリズムの改良を担当した。
- ここで身に付けた検索エンジンに関する知識が、後のBaiduの検索エンジンの開発に活かされている。
その当時、中国人学生の間にはある共通認識がありました。それは、博士課程に進んだ学生は、仕事を見つけたら研究を諦めるということです。 当初、私はそんな事はしたくなかった。しかし、この会社の上司も自分と同じ技術的な専門家であり、彼は私の研究を有難がってくれていました。お互いに感覚が非常に合うと思っていました。認めてくれる人がいるなら、その人のために死ぬ気で自分を捧げようと私は学校を去り、会社の上級コンサルタントの職位を受け入れることにしました。
(出典:http://wemedia.ifeng.com/88169565/wemedia.shtml)
27歳頃 結婚
- ロビンは、留学生会で知り合った女性マーと出会って半年で結婚した。
- マーは、中国科技大学を卒業し、ニューヨーク州立大学で物理学の博士課程に在籍している学生だった。
29歳頃 1社目を3年勤務した後退職し、Infoseekに転職
- ロビンは、当時シリコンバレーで先駆的なインターネット検索エンジン会社であったInfoseekにスタッフエンジニアとして転職した。Go.comの画像検索機能の開発を担当した。
- その後、Infoseekはディズニーに買収されることになるが、ロビンは、買収によって得られるストックオプションを放棄して、Baiduを設立するために中国に戻る決意をする。
シリコンバレーが私に与えてくれた最大の気持ちは、私が世界を変え、テクノロジーを通して私の人生を変えたいということです。
32歳頃 中国に帰国し、中国の変貌を感じ、Baiduを設立
- ロビンは、8年間アメリカに滞在していたが、途中から毎年中国に帰省していた。
- そして、帰省の度に中国のインターネットを取り巻く環境が大きく変化していることを感じていた。
- 自身が31歳になった1999年に、中国のネット環境が整ったと判断し、中国に戻り、Peking University Resources Hotelの 2つの部屋を借りて1人の財務担当者と5人のエンジニア、その他パートナーを含む8人でBaiduを設立した。
- 当時、中国でもGoogleのシェアが過半以上を占めており、エンジニア達はGoogleを超えるのは不可能だと感じていた。
- しかし、ロビンは、様々な技術的指標で競合を完全に超えなければならないと叱咤した。その背景には、アメリカ留学当初に決意した”最先端の技術を中国に”という夢があった。
- こうして、「Lightning Plan」という15人のエンジニアチームを組成し、全力を尽くした。食事はインスタントラーメン、寝るときはオフィスの床で、目覚めたらすぐに仕事を始めた。
- 実際、エンジニアの多くはIBMやMicrosoftのような企業で働いてかなりの収入を得ていたが、平均的な給料のBaiduに留まり、昼夜を問わず働くことを選んでいた。なぜ、その選択をしたのか。彼らが語る理由は、ロビンが掲げる「中国人の検索エンジンを作る」という夢への共感だった。
- その後、Baiduは市場シェア80%以上を誇る中国最大の検索エンジンで、世界で2番目に大きな検索エンジンに成長する。
彼らを納得させるために、私は多くのエネルギーを費やしました。彼らは、不可能である理由をたくさん言うんです。でも、結局のところ、彼らは理性的に確信しているわけではなく、感情でそう言っている。もし創業社長が正しい方向に向かっていると信じていれば指示をしてくれたはずです。当時の人々の目には、私の行動は頭がおかしく見えていたんでしょうね。でも、私は心の中で、非常に自信を持っていました。
(出典:https://wenku.baidu.com/view/80bd74c8b04e852458fb770bf78a6529647d35da.html)
「夢は人生の道を明るく照らしている」という有名な言葉があります。成功したいと思い、運命を変えたいのであれば、夢を持つことが重要です。
(出典:https://www.201980.com/yanjiang/daxue/2313.html)
37歳頃 BaiduをNASDAQに上場させる
- ロビンは、BaiduのNASDAQへのIPOを完了し、2年後にはナスダック100指数に含まれる最初の中国企業に到達させた。
社会環境全体が変化し、90年以降、オフィスに行きたがる人はあまりいません。 あなたの世代は企業の世界に入り、真に自分自身で競争し、あなたの能力を競い合うために市場の力に頼り、そしてあなたの貢献を判断することができる時代に入る機会がもっとあります。 この時代には、あなたの技術革新は間違いなく前の世代を超えるでしょう、それであなたは非常に幸運です、あなたは多くの機会を持っています。
(出典:https://wenku.baidu.com/view/80bd74c8b04e852458fb770bf78a6529647d35da.html)