Microsoftの創業者であるビル・ゲイツ。彼の人生を振り返る。
幼少時代
0歳 ワシントン州シアトルにて出生
- 両親は、父が弁護士、母が教師という裕福な家庭に生まれた。
学生時代
好き放題で、負けず嫌いの小学生時代
- 母によると、幼い頃のゲイツは好き放題やっていた。部屋で好きなことをやり、そのまま散らかしっぱなしにしていた。どれだけ片付けの躾を行っても変わらなかった。
- また小学校の同級生は、ゲイツが誰よりも負けず嫌いで風変わりだったと回顧している。
- 宿題、作文、楽器、スポーツ、ゲーム何でもほかの誰よりも1番にならなければいけないという強迫観念に突き動かされている様子だった。競争が好きで、なんでもその日のうちに徹底的にやりこむ、そんな性格だった。
- 数学が得意で記憶力に優れており、聖書の一部を一部も飛ばすことなく暗唱して牧師を驚かせたし、同級生とは思えないゲイツの話し方とその内容に同級生はチンプンカンプンの状態だった。
12歳頃 Lake Side Schoolに入学
- Lake Side Schoolは、シアトルの中でも最も優秀な子供たちが集まる学校だった。
- 自分と同じく「神童」と呼ばれてきた仲間達だらけだったし、コンピューターに熱中できる環境も整っていた。ゲイツがコンピューターに興味を持つきっかけとなるGE製のテレタイプ端末も、この学校が全米のその他の学校に先立って導入していた。
- 才能のある子供を更に伸ばせる環境が整った学校だった。
レイクサイド・プログラマーズ・グループを結成
- ゲイツは中学生の時から、家にあるビジネス紙を読むような子供だった。
- そのため、プログラミングだけでなく、金を稼ぐことに関する興味と知識も多くあった。
- そこで、ゲイツは同じくコンピューターに興味がある仲間を集めて「レイクサイド・プログラマーズ・グループ」を結成し、当時コンピューター活用に興味を示しそうな企業に電話をかけて、自分達が何か力になるのと引き換えに対価を求めた。依頼をしてきた企業は、CCCという会社だった。
- ゲイツが本格的にコンピューターへの理解を深めるようになったのは、CCCのおかげとも言える。
- CCCは、DEC社の大型コンピューターに接続する耐久テストをするため、夜間と週末に限り、ゲイツ等コンピューターに興味がある学生に当時最新の大型コンピューター設備を無料で開放した。ゲイツは、寝ることを忘れたかのような勢いで夜中もコンピューターに張り付いていた。
- ゲイツがこのコンピューターを使って初めて作ったプログラムが三目並べだった。コンピューターと対戦できるもので、初期のプログラミング言語と言われる「BASIC」を覚えたのもこの時だった。
- ゲイツは、数学において学年で常に1位だったし、在学中にワシントン大学の上級数学課程を受けていた。それほどまでに数学が得意だったゲイツにとって、プログラミングの習得はそう難しいものではなかった。
- 管理者でも把握しきれないほどの知識を身に付け、本来許されていない部分までプログラムをいじり倒したので、一時期出入り禁止を食らったこともある。
学校でいじめに遭う
- ゲイツは、秀才たちが集まるLake Side Schoolの中でも、ずば抜けて頭が良かった。それをよく思わない同級生は、一際小柄なゲイツをひどく扱った。
- しかし、学校内でゲイツはコンピューターの導師と化しており、誰からも知られる存在であり、尊敬のまなざしでも見られていた。
企業相手にシステムを製作
- レイクサイド・プログラマーズ・グループは、ある会社から依頼されて給与計算システムの作成をしたり、交通量計測システムを作成した。
- ゲイツ含めメンバーは日夜複雑なコード組み上げに邁進し、プログラムを完成させた。
- この時、依頼主である企業の幹部達相手に報酬交渉をして、実際に金銭的対価を得た。
- ゲイツの得意分野であるプログラミングと、模索していたビジネスの側面が結びついた瞬間だった。この成功体験がゲイツに自信を与え、その後の行動を加速させる。
二十五歳までに、百万ドル稼ぐつもりだ。
(ビル・ゲイツ―巨大ソフトウェア帝国を築いた男(1992)「ビル・ゲイツ 巨大ソフトウェア帝国を築いた男」 翔泳社)
18歳頃 ハーバード大学入学
- ゲイツは大学入学試験で数学満点を獲得してハーバード大学に入学する。法律を専攻したが、同時に数学と大学院レベルのコンピューターサイエンスを学んだ。
- 数学においては、先輩が解けない問題を教えてあげるほどだったし、法学部でコンピューターサイエンスの授業を取っているのはゲイツだけだったが、ゲイツのコンピューターに関する知識レベルは、他の誰よりも圧倒的だった。
- 一方、興味のない学問は全く熱心に勉強しなかった。その分、ポーカーに夢中になった。医学部やビジネススクールの切れ者達と金を掛けてゲームしたが、ゲイツは常に強く、勝ち続けていた。
僕は、自分よりも頭の切れる連中から何かを学ぼうと、ハーバード大学に入ったのだが、失望して大学から去っていったんだ。
(ビル・ゲイツ―巨大ソフトウェア帝国を築いた男(1992)「ビル・ゲイツ 巨大ソフトウェア帝国を築いた男」 翔泳社)
19歳頃 世界初の個人向けコンピューターAltair 8800のBASICインタプリタを作成し、ビジネスを本格化
- ゲイツと友人ポール・アレンは、世界初の個人向けコンピューターと言われるMITS社製のAltair 8800用の存在を知った事をきっかけに、対応する言語BASICの読み取りに使用されるインタプリタ(ソフトウェア)の製作に取り掛かった。
- MITS社は「最初に動作確認ができた会社と契約する」と公言していたため、ゲイツはすぐに電話してMITS社と会う約束を取り付けた。
- 実際には、インタプリタは全くできていない状況だったにも関わらずである。高校時代の時と同様、夢中になると睡眠を忘れてひたすらコードを書き続けた。
- 実際にMITS社に見せたBASICインタプリタは、正常に動作し、採用された。その後ポールはワシントン大学を中退してMITS社に入社するが、ゲイツは学校が休みの期間に開発を手伝うことにし、ハーバード大学に残った。
20歳頃 マイクロソフトの前身となるパートナーシップを締結
- ゲイツは、MITS社、ポール・アレン、3者によるAltair用BASICインタプリタに関するパートナーシップ契約を結んだ。
- 2年後に、ゲイツとポール・アレンは2人でマイクロソフトという未登記の法人名でMITS社と契約を交わすことになるため、マイクロソフト社の前身と言われている。
- 初年度で約10万ドルの報酬を得た。
21歳頃 マイクロソフト、業績は拡大し、自前のオフィスを構える
- マイクロソフトは、GEや、NCRと契約を結び、売上が前年比2倍に到達する。
- 自前のオフィスを構えることができるようになり、Lake Side School時代の友人などを従業員に迎え更なる拡大を図る。
22歳頃 ハーバード大学を休学
- ゲイツは、ポールとAltair用BASICインタプリタの開発に関わるパートナーシップ契約を結び、2人でマイクロソフトという社名を用いて本格的な取り組みを始めるに当たってハーバード大学を休学した。
- その後、ゲイツは大学に戻ることはなかったが、2007年に名誉学位号が付与されている。
経営者時代
25歳頃 マイクロソフトの売上が400万ドルに到達
- マイクロソフトが開発したBASICは優れており、ハードウェアを制作するApple・アタリ・ゼロックス・IBM等からBASICのライセンス契約に関して引き合いがあった。
- ゲイツは、ハードウェアを作る会社になるべきか迷っていたが、自分達の得意分野はソフトウェアであると確信し、以降も長い間ハードウェアの領域には事業を展開しなかった。
26歳頃 スティーブ・ジョブスの依頼により、Mac用のアプリケーションの製作に着手
- マイクロソフトのソフトウェア開発の実力を認めていたスティーブ・ジョブズは、ゲイツに対し、Mac向けの表計算ソフトやワードなどのアプリケーション開発を依頼する。
- ゲイツは、この依頼を引き受けると同時に新たなビジネスチャンスを思いつく。
- それは、Mac向けに開発したアプリケーションの類似品をIBM等へ提供する事と、Macの優れたGUI(グラフィカルユーザインターフェース)を理解・吸収し、独自のOS「Windows」を開発することだった。
28歳頃 独自OS「Windows」、マイクロソフトExcelを発表、売上は1憶4000万ドルに到達。
- ゲイツは、計画通り、Appleとの一連のやり取りの中で得た新たなビジネスの横展開を実行に移した。
- 特に優れた汎用性の高いOSやアプリケーションが提供できれば、市場の独占的な地位を獲得することができると理解していたのだった。
スティーブ・ジョブズから怒りの電話を受ける
- ジョブズは、発表された「Windows」の中身を見て、MacOSが持つ優れた機能が模倣されていると感じ、激怒していた。
- しかし、ゲイツはジョブズが言うMacの優れたGUIも、元々ゼロックスの開発した技術であり、言うなればMacも技術アイデアを盗用しているだろうと感じていた。
- ゲイツはジョブズに以下のような言葉を返した。
スティーブ、視点を変えてみたらどうだろう。どっちかっていうと、近所にゼロックスって名前の金持ちの家があって、僕がTVを盗みだそうとしたら、きみがすでに盗んだ後だったってことなんじゃないか
(ビル・ゲイツ―巨大ソフトウェア帝国を築いた男(1992)「ビル・ゲイツ 巨大ソフトウェア帝国を築いた男」 翔泳社)
31歳頃 マイクロソフトを上場させる
- ゲイツは、上場により3億5000万ドルを手に入れた。
- 以降、マイクロソフトは、全世界のPC市場において圧倒的なシェアを有し続ける躍進を続けることになる。
39歳頃 マイクロソフト社員だったメリンダと結婚

出典:NEWSPAEK
45歳頃 ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団を設立
- ゲイツは、「全ての生命の価値は等しい」との理念により、世界最大の慈善財団を設立。
- 主に、教育・医療分野と、途上国への支援を行っている。
- 現在、財団の総資産は363億ドルに達している。うち、約300億ドルは、世界一の投資家ウォーレン・バフェットによる寄付である。
ゲイツは、世界一の富豪に何度も選出されているが、同時に倹約家としても知られている。
日本に出張する際、ファーストクラスのチケットを手渡されると、「到着時間は同じなのに、なぜエコノミーの何倍もするファーストクラスを使うんだ。」と経費の使い方について指摘したほどである。