イーロン・マスク Paypal、スペースX創業者

実業家

Paypal、スペースX、テスラモータースの創業者であるイーロン・マスク。彼の人生を振り返る。

幼少時代

0歳 南アフリカ共和国のプレトリアにて出生

  • イーロンは、イギリスとアメリカにルーツを持つ南アフリカ人で機械・電気エンジニアの父とカナダ人で栄養士の母の間に生まれた。
  • アパルトヘイトの最も激しい時代に、裕福な白人家庭の元に生まれたため、自分が置かれている境遇を客観的に見つめるような環境で育った。
  • また、祖父母が自家用プロペラ飛行機でアフリカやヨーロッパを旅するなど、大変挑戦的な人生を送っていたことを幼い頃から聞かされ、とても目を輝かせていた少年だった。

学生時代

6歳頃 外界と断絶して、一つのことに集中する術を身につける

  • 両親曰く、イーロンは時にボーっと一点を見つめ、話しかけても応答がないことがしばしばあった。
  • これは、イーロンが外界と断絶し、頭の中で何かを考えている様子で、現在でもしばしばあると言う。聴覚障害なのではと病院に連れていかれ、手術を受けたこともあった。
  • 外界を離れ、何かに没頭できるたため、数学や物理などについて考える時、頭の中で数字と物質同士が相互にどのような影響を与えるかを鮮明にイメージができたという。

  ブリタニア百科事典を愛読

  • イーロンは、愛読家で、学校が終わると近くの本屋に行き、両親の帰宅時間まで本を読み続けた。読書量は膨大で、学校の図書館と本屋で扱う本を読み切ってしまい、新しい本を入れてもらうよう要求したほどだった。
  • 読む本がなくなったイーロンは、ブリタニア百科事典を手に取り、世の中のあらゆる知識を蓄えるようになり、歩く百科事典と化した。
  • 一方で、友達の間違いをストレートな物言いで正してしまう性格だった。

8歳頃 両親が離婚する

  • イーロンは、最初母親側に引き取られたが、後に自らの意思で父親の元へ行く。
  • 父親は、イーロンを連れて世界各国の旅に連れて行ったり、エンジニアである自分の職場へ連れて行きレンガ積みや配管など、読書では得られない子供の感性に響く実体験を多く与えた。
  • 一方で、非常に厳しい躾で、幸せな幼少時代と言えるものではなかった。これが、イーロンが自由と幸せを求めて、アメリカを目指す契機となっている。

10歳頃 初めてコンピューターに触れ、衝撃を受ける

  • 電気屋で見かけたコンピューターに衝撃を受け、父親に購入を懇願。1980年に発売された5キロバイトメモリのコンピューターを手に入れる。
  • 付属していた6ヵ月でプログラミング『Basic』を学べる手引書を3日間で完遂するほどのめり込んだ。

12歳頃 自身でプログラミングしたビデオゲーム「Blastar」を発表

  • イーロンが作成したゲームは、宇宙を舞台にしたもので、167行のコードが雑誌『PC and Office Technology』に掲載され、謝礼として500ドルが支払われた。
  • イーロンの宇宙に対する興味は、この頃から既に始まっていた。

  旅と商売の経験から自立心が生まれる

  • 弟と南アフリカ内を電車で旅した時、治安が悪く緊張感のある中で目的地まで達成するという、生き延びるための作法を身に着けた。
  • また、卵の行商や、ゲームセンターを企画し、機械のリース契約を取り付けた経験から、自分でビジネスをするということに目覚めはじめる。

15歳頃 いじめが原因で中学、高校を何度か転向する

  • ストレートな物言いで、友人の間違いを正してしまう性格から、中学でいじめにあってしまう。
  • そのため、昼休みは常に弟と食事をしていた。顔が腫れあがるほどの殴る蹴るの暴行にあうこともあった。いじめは高校時代の後半まで続き、マスクは現在でも当時を振り返る時は怒りに震えた声で語る。
  • また、イーロンは、飛び級制度を利用するほど頭がきれたが、学校の成績に関しては全体的に良くなかった。自分が必要と認識している科目はのめり込んで勉強するが、それ以外の科目を勉強する目的を見出せなかった。
  • 当時、イーロンの宇宙への興味は拡大しており、将来的に宇宙に移り住むことを公言していた。

17歳頃 南アフリカのプレトリア大学に入学するも、カナダ行きを決意して5ヵ月で自主退学

  • 幼い頃から抱いていた自由の国アメリカで暮らすという夢から、ひとまず母の出身国であるカナダの親戚を頼ってカナダに行くことを決意する。
  • 南アフリカのプレトリア大学に入学するも、本人曰く大学入学はカナダ行きの準備が整うまでの時間潰しだった。
  • しばらくして、母親と同じカナダのパスポートが発行されたため、プレトリア大学を5ヵ月で自主退学。
  • カナダで肉体労働のバイトを続け、生活を維持する
  • 農場での野菜栽培・収穫、木の伐採、灼熱のボイラー室での残留物除去などのバイトを経験。

18歳頃 クイーンズ大学に入学

  • 大学では、パソコンやワープロを作って販売したり、故障したコンピューターの修理をするビジネスで小遣い稼ぎをしていた。
  • また、趣味の一環で、直接話してみたい人を新聞を眺めて探し、実際に電話してアポを取って会いに行っていた。
  • 実際にアポを受けたノバ・スコシア銀行の重役は、当時の記憶を思い返すとイーロンはヲタク気質でどちらかというと弟の方がカリスマ性があったという。
  • 自分が興味のある経済学などの学問にはとことんのめり込み、弁論大会にも参加していた。のめり込んだイーロンは周囲の誰よりも突出していた。

21歳頃 米国のペンシルベニア大学に編入

  • 編入制度によって、念願のアメリカの地へ到達する。
  • ペンシルベニア大学では、経済学と物理学をダブルで専攻し、学位を取得する。
  • 彼が在学中に書いた3つの論文は、太陽エネルギーの利用、文字認識技術による論文・分権のDB化、電気二重層コンデンサに関するものだった。どの論文も、技術的に優れているだけでなく、実際のビジネスに落とし込むベースで書かれており、教授は満点に近い点数で評価していた。

 夏休みにベンチャー企業2社でインターンを経験

  • イーロンは、夏休みにインターンとしてシリコンバレーのベンチャー企業2社で働いていた。
  • インターン先は、当時最先端のビデオゲームを開発していた企業と、電気二重層コンデンサを研究している企業だった。
  • 同僚は、イーロンの徹底してやり遂げる姿勢と、圧倒的な知識に裏付けされた物怖じしない姿勢に驚いていた。
  • また、指示をしなくても、次に必要だと思える作業をこなしてくるほど熱心だったという。ここでイーロンはシリコンバレー流を学び、シリコンバレーの魅力に憑りつかれた。

 銀行でのインターンも経験

  • 銀行でのインターンでは、銀行業界は大量の金が動くが、銀行内部は無能な人間だらけという気づきを得た。
  • 大学卒業後、就職も考えたが、就職で世の中に与えられる影響は限定的と察し、電気二重層コンデンサの研究をするため大学院に進むことを決める。

私は、大学で物理学と経済学を専攻しました。
(その理由は、)何かを実現するためには、世界がどのように動いているのか、経済がどう機能しているのか知る必要があるからです。
(出典:2012年カリフォルニア工科大学卒業式でのスピーチ)

24歳頃 スタンフォード大学大学院に入学するも2日で退学

  • イーロンは、ペンシルベニア大学を卒業後、スタンフォード大学の博士課程(物理学)に進学する。
  • しかし、2日で自主退学した。退学した理由は、当時個人での利用が普及し始めていたインターネットで、弟と共にシリコンバレーで起業するためだった。
  • イーロンの起業に対する思いは、以前からあった。
  • ペンシルベニア大学在学時代に、弟と共にアメリカ全土を旅していたが、旅行で様々な刺激を受けつつ、あらゆるビジネスアイデアを頭に巡らせていた。
  • 思いついたアイデアで実際に起業しようと思ったが、途中で思いが変わってやめた経験があった。また、学部卒業時に就職という選択肢を取らなかったのも、イーロンの中に起業が唯一世の中を変えられる最短の選択肢だと思っていたからだった。
  • 結果的にスタンフォード大学大学院を2日で辞めて起業をすることにする。

新しいものを作り出すのはクールだと思っていました。
そう思ったきっかけは、アーサー・クラーク『特別に高度な技術は魔法と区別できない』という言葉を知ったからです。その通りだと思いました。
今は当然のことでも、300年前だったら異端だとして非破りの刑に処せられていたでしょう。
空を飛ぶなんてすごいことです。今は、遠く離れた世界中の人と電話で話せるし、インターネットによって世界中の情報にアクセス可能なんです。
昔の人なら魔法だと思ったでしょう。
だから、もし私が技術を進歩させることができたら、魔法みたいでかっこいいなと思ったんです。
また、私は危機意識が強いので、ものごとの意味や目的を常に考えていました。
その結果一つの結果に辿り着きました。
(私が技術の進化を実現して)世界の知識を更に発展させれば、私たちの意識のスケールを拡大させることができる。(人類はこれまでと異なる)正しい仮説が立てられるようになり、さらに賢くなれる。
これが人類進歩への唯一の方法だと思ったのです。
(出典:2012年カリフォルニア工科大学卒業式でのスピーチ)

経営者時代

24歳頃 第一の起業。弟と共に、『Zip2』社を創業

  • 当初は、店情報と地図案内を融合したオンラインサービスを消費者に提供し、検索上位表示などで広告主からお金を得るビジネスモデルだった。
  • インターネットが普及し始めたばかりだったため、お客を得るには店への飛び込み営業チームが必須で、対人関係に優れた弟が営業リーダーを務め、イーロンはプログラミングでサービス改修に勤めた。
  • イーロンは、投資家からの資金援助を促すためのパフォーマンスを徹底しており、投資家が訪れる際は営業マンを一カ所に集めて電話をさせて圧倒的な営業体制を演出し、PCにもスパコンのような装飾を施した。
  • 顧客が増えてくると、マスクは収益モデルを変更し、新聞社に対してオンライン広告技術と顧客の広告をパッケージソフトとして提供するようになる。
  • ネットに脅威を感じ始めた大手新聞社と、全米に広く展開したいZip2社の利害が一致した結果、ビジネスは一気に拡大した。

 CEOから外されてしまう

  • ベンチャーキャピタルからの更なる投資に加えて、新聞社からの投資により優秀なエンジニアも多く確保できるようになったが、投資家からの外部のCEOを雇うべきとの声によって、イーロンはCEOを外されてしまう。
  • イーロンが新しい事業の提言をしても、経営陣は安定した新聞社を対象にしたビジネスを重視しており、消極的な反応だった。

 Zip2社の売却により、2200万ドルを手にする

  • そんな中、コンパック・コンピューターがZip2社に買収を持ち掛け、イーロンは賛成した。イーロンは、これにより2200万ドルを手に入れた。
  • イーロンにとって大きな変化は、その後の自分が全力を注ぎたい事業への投資資金を手に入れたことに加えて、組織を率いる立場を経験したことで、従業員や投資家に対する『大人な対応』がどうあるべきかを身に付けたことだった。

28歳頃 第二の起業、X.com(現:Paypal)を創業

  • イーロンは、Zip2社の売却資金を元手に第二の起業を志した。
  • 起業に際し、自らの力で世の中を大きく変えるという思いを叶えるためには、古くからの慣習が残り、インターネットに疎い業界を対象にすべきと感じていた。
  • そこで、イーロンが目を付けたのが銀行業界だった。イーロンは大学時代に経験した銀行でのインターンで銀行に面白い人間はいないと感じていた。
  • 当然、インターネットを活用したビジネスを早期に仕掛けてくるとは思えなかったからだ。

 競合と合併し、社名をPaypalに変更。売却し、2億5千万ドルを得る

  • イーロンは、X.comという電子メールによる送金会社を設立した。
  • 1年後にConfinityという会社と合併しPaypalに社名を変更した。クーデターによりCEOの職を解任されるなど、裏切り行為を受けたが、相談役として会社に残り続け自己投資資金も引き揚げなかった。
  • 2002年、会社が軌道に乗ったところで、インターネットオークション最大手のebayから15憶ドルでの買収提案がありイーロンらはこれを承諾。Paypal売却により、イーロンは2億5千万ドルを手にする。

 宇宙関連に精通した人物との人脈構築に奔走

  • イーロンは、自身で起業した2社の売却により、生涯で使い切れないほどの資産を手に入れていた。
  • しかし、イーロンは、世間一般がイメージする『IT分野で成功した億万長者』とは少し違っていた。イーロンにとって、築いた資産で豊かな余生を送るよりも、更なる夢を実現するために資金を使う方が遥に面白かったのだ。
  • イーロンが次に全身全霊を捧げることにしたのは、『宇宙』だった。
  • 幼少期から宇宙に対する好奇心があったが、自身が世の中に大きな変化を与えることができるステージは、既に地上にはなく、宇宙にあると感じていた。
  • 高校生の時に友人に語っていた「将来、他の惑星に移住する」という夢を実現しようと思ったのだった。
  • イーロンは、宇宙関連に精通した名だたる人物との人脈を築いた。
  • 専門家にとってイーロンは、単なる金持ちには映っていなかった。彼らにはないビジネスの才覚も持ち合わせている上、物理や技術にも精通しており、宇宙への情熱も人一倍だった。

31歳頃 第三の起業、SpaceXを創業

  • 2002年に設立したSpaceXは、当初マウスを火星に送るという計画で動き始めた。
  • マウスを打ち上げるためのロケットは、ロシアの中古品である大陸間弾道ミサイルを購入して代替しようとした。しかし、ロシアに直談判に行っても交渉は成立しなかった。
  • そこで、マスクはロケットを自分達で安く作れないのかと言い出した。宇宙への道を切り開くのに、マウスを火星に送るのではなく、高性能・低価格の小型ロケット専業メーカーになるべきと考えを変えたのだった。
  • ロケット製作にかかる相場観を知っている専門家たちは、当然無謀なアイデアと受け止めたが、イーロンはこれまでの常識に捉われていなかった。
  • なぜなら、長年競争がない環境で湯水のように資金投入を受けてきた宇宙ロケットの開発現場には無駄が多いことを知っていたからだ。
  • イーロンは、幼少期から養った豊富な知識で、自身の頭の中で新たな小型ロケットの構想を描き、コストも含めて試算した。
  • また、ロケット製作に精通した人物を訪ね、ヘッドハンティングし、新たな小型ロケットの製造に取り組み始める。

31歳頃 生後10週間の子供が息を引き取る

  • イーロンが宇宙への夢に向けて離陸し始めた直後、生後間もない子供が突如息を引き取ってしまう。
  • イーロンは、これまで経験したことのない子供の死に悲しんだが、その姿を周囲には見せなかった。悲しんでいる姿を見せることで何かが変わるわけではないと自分を客観視していたから、あくまで自分の中で気持ちの整理をするのに徹していた。
  • 子供の死という壁を乗り越えたイーロンは、これまでよりも更にSpaceXに全力を注いだ。
  • しかし、その傾倒のあまり、昔のように周囲から顰蹙(ひんしゅく)を買う態度が再び現れていた。自社のエンジニアは元より、サプライヤーやインフラ設備会社などに対して高い要求を突きつけ、実現できていない場合は自ら現場まで足を運んでストレートな物言いで叱咤した。
  • Zip2創業時から、製品に対する徹底的なこだわりや、周囲への振る舞い、三日三晩働き続けるなど、あのスティーブ・ジョブズに共通するものがあった。

33歳頃 電気自動車メーカー、テスラに出資し、会長職に就任

  • 電気自動車の開発をするベンチャーだったテスラが資金調達のため、投資家巡りをしていた時にイーロンに声がかかる。
  • イーロンは、大学時代に論文を書いているほど電池の性能向上に可能性を感じていたため、750万ドルの出資に応じた。また、大株主となり、会長職に就任し、SpaceXと並行して経営に参画するようになる。
  • SpaceX、テスラでの開発・試験が難航する
  • SpaceXは、打ち上げ実験が立て続けに3回失敗する。失敗からの収穫はあったものの、会社の資金は減る一方だった。
  • テスラは、Google創業者セルゲイ・ブリンとラリーペイジなど資産家からの資金調達が加わり勢いに乗ったが、生産過程でのトラブルなどが頻発し、資金の回転率が低下、従業員のうち10%がリストラされるなど順風満帆ではなかった。

37歳頃 初めての離婚

  • ビジネスに傾倒していたイーロンは、ほとんど家庭に時間を割かなかった。
  • また、妻に対する振る舞いもまた、部下に対する厳しい態度と似たところがあった。
  • 結果的に8年間の夫婦生活に終止符を打ち、自宅を含む土地や建物に加え、慰謝料200万ドル、毎月8万ドルの生活費などの条件で離婚した。
  • 離婚に加えて、自己資産の減少、SpaceX・テスラが軌道に乗り切っていない状況が続いてしまう。

37歳頃 SpaceXは初の打ち上げ成功、テスラは第一モデルが発売するなどビジネスが軌道に乗り始める。

  • SpaceXは、3度の失敗を経て初めてのロケット打ち上げ成功に至る。
  • テスラは、第一のモデル『ロードスター』が発売され、納車待ち状態が長期にわたるほどの注文となった。
  • その後イーロンは、SpaceXで、民間初の宇宙機の回収や、国際宇宙ステーションへのドッキングを成功させるなど幼少期からの宇宙への夢を実現に近づけ続けている。
  • また、テスラを上場させ、Panasonicやトヨタ自動車と提携、太陽光発電の会社を買収するなど、電気自動車の未来をも切り開く。
  • 近年は、新たな移動手段として「ハイパーループ」の構想を発表、地下移動のためのトンネル建設会社「ボーリングカンパニー」の設立、AIの研究機関「OpenAI」を設立している。50歳近くになった今でも、あくなき探求心は変わっていない。

(もしあなたがまだ若いのであれば)あなたに勧めたい事は『リスクを取る』ということです。
年齢を重ねるごとにあなたの義務は増大していきます。家族を持つと、自分自身のためだけでなく、家族にも危険を冒すことになります。うまくいくか分からないことをするのは、難しくなるでしょう。
だから、今リスクを負って、大胆なことをすることを勧めます。きっと後悔することはないですよ。
(2012年カリフォルニア工科大学卒業式でのスピーチ)