香川真司 プロサッカー選手

スポーツ選手

日本代表10番を背負うプロサッカー選手の香川真司選手。その人生の岐路を振り返る。

幼少時代

0歳 兵庫県神戸市垂水区に生まれる

  • 香川は、幼稚園の頃に初めてサッカーを始めた。

学生時代

6歳頃 神戸市立乙木小学校入学

  • 香川は、入学と同時にマリノFCに所属する。
  • その後、東舞子サッカークラブ、神戸NKサッカークラブへと所属変える。
  • 小学4年生の時に、神戸市選抜のメンバーに選出された。

12歳頃 仙台市立八乙女中学校入学

12歳頃 宮城県のFCみやぎバルセロナにサッカー留学

  • 香川は、神戸の中学校に通いながら、サッカーの強豪である宮城県のサッカーチームに通う生活を送り始めた。
  • しかし、よりサッカーに集中するためには、神戸と宮城の距離は非常に大変であり、結局祖母と共に宮城に移り住みことにする。
  • この時期から、ナショナルトレセンやU-15日本代表に選出され始める。

いま思えば、すごく勇気のある決断だった。でも、そのときはとにかくプロ選手になるために、自分が伸びる環境でプレーしたい一心だった。
両親は常に僕がやりたいことを優先して、その後押しをしてくれた。やるやらない、行く行かないを最終的に決断するのは自分だった。親はアドバイスはしてくれるけれど、決めるのは自分。仙台に行ってお金も掛かっていたので、自覚と責任感が自然に芽生えた。
(引用元 https://r.nikkei.com/article/DGXZZO2395661024022011000000/?disablepcview)

15歳頃 宮城県黒川高等学校、土木科入学

  • 高校入学後、香川は、自宅から学校までの片道15kmを毎日自転車で1時間かけて通っていた。また、放課後は、学校からクラブまでの15kmを再び自転車で通い、練習が終わると自主トレをして帰っていた。
  • 高校時代には、日本クラブユースサッカー選手権に出場し、U-18東北代表選出されていた。
  • なお、当時出場した仙台カップ国際ユースサッカー大会でのポジションはボランチだった。

サッカーを始めたころから、プロの選手になりたかった。より具体的に考えて、プロを目指し始めたのは高校1年のとき。そのときからプロに入るための準備をしてきた。子どものころは飛び抜けた選手ではなかった。信念とか夢を持っていたから、いまの自分があると思う
(引用元 https://r.nikkei.com/article/DGXZZO2395661024022011000000/?disablepcview)

プロ入り後

17歳頃 セレッソ大阪入団

  • 香川は、高校2年の時、セレッソ大阪とFC東京からオファーを受け、神戸の実家から近いという理由でセレッソ大阪に入団した。
  • 同時に、プロサッカークラブとの学業の両立を図るため、ウィザス高等学校(通信制)に転校した。
  • なお、当時高校卒業前の選手がJリーグのチームとプロ契約を結んだのは、香川が初の例だった。
  • プロ1年目は出場機会がなかったが、2年目以降監督に求められレギュラーとして定着、4年目ではJ2得点王に輝き、チームのJ1昇格に貢献した。

やっぱり1年でも早く、Jリーグの厳しい世界でプレーできるのはいいことだと思うし、刺激も多く受けられると思う。そういう意味で別に迷いとかもなく、Jに挑戦しようと思いました。年代的には僕はまだ高3ですけど、僕のほうがほかの(高校3年生の)人たちよりいい経験を積めるわけですから。本当に入団してよかったと思っています
(ストライカー編集部(2013)「サッカースターの少年時代」 学研パブリッシング)

21歳頃 初の海外移籍、ドイツ、ボルシア・ドルトムントに移籍

  • 香川は、育成補償金35万ユーロ(約4000万円)でセレッソからドイツのドルトムントに移籍した。
  • サッカーの傍ら、1日最低45分ドイツ語を勉強し、ドイツ語に馴染むよう努めたり、プロであっても若い選手がチームのスーツケースを運ぶという慣わしにも柔軟に対応していた。
  • ドルトムントでの試合ではスポーツ紙で最高評価を得るなどの活躍を見せ、チームのブンデスリーガ連覇に貢献した。
  • この活躍が認められ、FIFAが公表した「2011年期待の若手13人」の1人にも選出された。

おそらく、住み慣れた場所で、友だちがいて、食事や言葉に不自由しない、そういう場所が生活する上ではベストなのかもしれません。でも、サッカー選手としては、サッカーの本場である欧州を目指したい。日本でプレーしている中で感じられるものと、欧州で感じられるものとでは幅が違いますし、日本では掴めないものがあります。
ましてや、外国人としてチームに入り、周囲には日本人もいない、そこで自分の評価を自分で高めていかなきゃいけない、そういうことをどうにか達成していく日々。少しでも達成できた時の嬉しさが自分自身を一人の人間としてさらに強くしてくれると思います。本当にやりがいしかないですし、サッカーのレベルを含めて、ここはサッカー選手としての僕にとって最高の環境。成長し、もっと上に行くために、なくてはならない環境だと思っています。
いずれにしても、厳しい環境であることは間違いなくて、サッカー選手というジャンルを問わず、欧州を始め世界中で生活している方、皆さんのことをリスペクトしています。
(引用元http://www.newsdigest.de/newsde/features/9283-shinji-kagawa.html)

23歳頃 イングランド、マンチェスター・ユナイテッドに移籍

  • 香川は、移籍金1600万ユーロ(約21億6000万円)、契約期間4年でドルトムントからマンチェスター・ユナイテッドに移籍した。
  • 初出場で得点、アジア人で初となるプレミアリーグハットトリックを記録するなど、チームのリーグ優勝に貢献するも、怪我や、監督交代による影響で出場機会を徐々に逃す。

25歳頃 ドイツ、ボルシア・ドルトムントに移籍

  • 香川は、移籍後初シーズンの後半から徐々に調子を上げていき、2年目はブンデスリーガ公式サイトが公表するベストイレブンに選出され、トップ下部門1位に輝く活躍を見せた。
  • その後、度重なる監督交代、怪我の影響で出場機会を逃していく。

30歳頃 トルコ、スュペル・リグ・ベシクタシュJKへレンタル移籍

  • 香川は、移籍後のデビュー戦で得点する活躍を見せたが、その後4ヵ月でスペインに移籍することが決まった。香川は
  • 「タイトルを取れなかったことと、思ったほど貢献できなかったことを後悔しています。チームメイト、スタッフ、トルコのファンのことはすばらしい思い出だ」とTwitterに綴り、トルコを去った。

30歳頃 スペインのレアル・サラゴサへ移籍