Google共同創設者であるセルゲイ・ブリン。彼の人生を振り返る。
幼少時代
0歳 ソビエト連邦下のモスクワにて出生
- ユダヤ系ロシア人で大学の数学教授である父と、同じくユダヤ系ロシア人でNASAの研究員である母の元に生まれる。
6歳頃 家族でアメリカに移住する
- セルゲイの父は、東西冷戦時代、自身がユダヤ人であることでソビエト内では様々な制約を受けていると感じていた。
- 1978年、父はポーランドで開かれた数学の国際学会に参加したとき、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツの学者と自由に交流し、この時、西側への偏見が崩れることになる。
- 父は、チャンスと心地よさのある人生を求め、鉄のカーテンを超えて、アメリカに移住することを決意する。一方、母は父が西側で仕事を見つけられるのか不安視しており、現在の安定した職を辞めて移住することに反対していた。
- ユダヤ人が出国ビザを取得するのは容易ではなく、父はソビエト政府に書類を一式提出すると、すぐに大学教授としての職を失い、同様の理由で母も仕事を辞めることになった。
- そのため、出国ビザがおりるまでの約8か月の間、家族は短期的な仕事で食いつないでいた。
- ようやく出国ビザが降りた後、セルゲイの家族は、ユダヤ人支援団体HIASからのサポートを受けて、オーストリアとフランスで過ごした。
- 1979年に、アメリカのメリーランド大学での仕事が決まりアメリカへ移住する。

出典:CelebrityFunFacts
Paint Branch Montessori Schoolに入学
- セルゲイは、英語の習得にしばらく苦労した。
- 一方、学生自身が興味関心に従って学習を進めるモンテッソリー教育を非常に楽しんでおり、特に掛け算パズルや、数学関連のゲームに没頭した。
- また、学校教育の他、父から自宅教育で数学とロシア語の教育も受けていた。
- 元々内向的だった性格のセルゲイは、次第に母も驚くほど明るい性格になっていった。
Eleanor Roosevelt High Schoolに入学
- セルゲイは、高校3年間に間に、大学入学後3年で卒業できるクレジットを取得した。
- 大学入学直前の2か月前に、自身の力でwebブラウザを作り上げる。
17歳頃 メリーランド大学に入学
- コンピューターサイエンスを専攻する。
- 大学1年次に、大学内で開かれた数学オリンピックに参加し、3位に入賞。
- クラストップ級の成績で理学士号を取得して卒業し、大学院進学のために国立科学財団の奨学金を獲得する。

出典:HUFFPOST
20歳頃 スタンフォード大学大学院博士課程に進学
- セルゲイは、高校時代に大学のクレジットを取得していたため、予定通り3年で大学を卒業しスタンフォード大学の計算機科学の博士課程に進学した。
- データマイニングに興味を持っていたセルゲイは、大量の情報の山からどのようなパターンで意味のある情報を探し当てられるかを研究していた。
- 一方で、スキー、ローラーブレード、体操などのスポーツにもかなりの時間を捧げていた。
- 大学院在籍中に、後のGoogle共同創業者であるラリー・ペイジに出会う。最初は意見が合わなかったが、興味関心を2日間に渡って語り合い意気投合する。
- ラリー・ペイジは、web上の価値あるサイトを上位に表示するにはサイトへのリンク数が重要であるとして、ページランクのメカニズムを研究していた。
- そこで、セルゲイのデータマイニングの知見を求め、共同論文「動的データマイニング:高次元のデータのための新しいアーキテクチャ」を執筆した。
- その後、ラリー・ペイジの寮の部屋で作業を行い、彼らの研究を反映した検索エンジン「BackRub」(現:Google)を生み出した。
- 初期は、学生寮がオフィスであり、サーバーはレゴブロックを使って作られていた。
- 検索エンジン「BackRub」は、急速に広まり投資家の目に留まり始める。

出典:WIRED,credit William Mercer McLeod
23歳のときに夢を見ました。突然目が覚めたとき、「Web全体をダウンロードして、リンクとを維持できるとしたらどうなるか」と考えていました。
(VANITY FAIR)
25歳頃 Googleを設立
- サンマイクロシステムズ社の共同創始者で投資家だったアンディ・ベクトルシャイムがセルゲイ達の検索エンジンに興味を持ち、10万ドルを出資したことで、Googleの設立が決まった。
- カリフォルニア州メンロパークにある家を月1,700ドルで手配し、ガレージで仕事をすることになった。
- 「Google」という社名は、数学用語「Googol」で、1の後に0が100個続く数字を意味し、膨大なデータ量を表現している。

出典:Achievement
それ自体は、完全な検索エンジンではありませんでした。ウェブページのタイトルを検索し、それらを非常によくランク付けしたものです。
(出典:The Guardian)
26歳頃 Googleの売却を試みるが、失敗
- セルゲイとラリーは、検索キーワードに関連するテキストベースの広告で収益を生み出す仕組みを持ったGoogleを売却するため、Excite社の創業者ヴィノドコスラに100万ドルで話を持ち掛けるが、拒否される。
- 75万ドルまで値を下げて交渉するが、それも拒否されてしまう。
(Google検索エンジンを)当時の多くの検索会社に見せました。覚えている人もいるかもしれません、Infoseek、Excite、Lycos。おそらく、最大の関心はExciteから来ました。
(出典:The Guardian)
31歳頃 GoogleをNasdaqに上場させ、16億7000万ドルを調達する。
- 上場前、セルゲイとラリーは、2024年まで共に働くことを合意した。
- 以降、現在のGoogleの牽引役を務めている。
今や、Google は 50 か国に 60,000 名を超える従業員を抱え、世界中の数十億ものユーザーに YouTube、Android から Smartbox、そしてもちろん Google 検索まで、数百というプロダクトを利用していただいています。レゴで作ったサーバーはその役目を終え、オフィス犬は数頭ほど増えましたが、世のためになるテクノロジーを構築するという情熱は、寮の部屋から、ガレージ、そして今日に至るまで、私たちと共に生き続けています。
(出典:Google公式サイト)
46歳頃 アルファベット社長を退任
- セルゲイは、共同創業者のラリーペイジと共に、退任を決意した。
- アルファベットとGoogleには、もはや2人のCEOと1人のプレジデントは必要ないというのが退任の理由だった。