迫俊亮 ミスターミニット社長

実業家

ミスターミニット社長の迫俊亮。高校卒業後のアメリカ留学、三菱商事、マザーハウスでの経験等、彼の人生を振り返る。

学生時代

0歳 指示に従わない、集団行動ができない少年期

  • 迫は、小学生の時まったく勉強をしない子どもだった。
  • 納得できた事には夢中になるが、そうでないことにはまったく興味を示さないタイプだったからだ。
  • 先生から他の学生と同じようにやるように指示されても話を聞かなかったので、非常に扱いづらい存在だった。

12歳頃 中学でサッカー部を辞めて、ボクシングを始める

  • 中学生になると、サッカー部に入部したが集団競技が肌に合わずすぐに辞めて、ジムに通って単独競技のボクシングを習い始めた。

 福岡の田舎で下から2番目の公立高校に入学

  • 迫は、中学時代勉強に面白みを感じられず、地元で下から2番目の高校に入学することになる。
  • 15歳頃高校入学後は、ボクシングジムを除いて、部活も勉強もせず、ヤンキーのようにぐれてしまっていた。

高校1年生のときは、少しグレていた時期があって、茶髪に金メッシュ、ピアスにガングロで、「エミネム」を聴いているような学生でした。
(出典)「アメリカ人恩師の言葉がキャリアの転機に偏差値38の高校生が世界で活躍するまで」Harvard Business Review

16歳頃 英会話教室に通い始める

  • 迫は、全く勉強もできず、暇をもて遊んでいたが、ひょんなことから英会話スクールのNOVAに通い始める。
  • 英会話スクールでの英会話レッスンは、迫が想像する勉強とは違っていた。
  • 外人の先生が迫のわずかな成長をも誉めてくれるため、学んだ成果を実感することができたのだった。

17歳頃 海外の大学進学を決意

  • 迫は、高校時代、ボクシングと共に極真空手を習ってK-1ファイターになろうかと考えていた。
  • しかし、ボクシングの成績も特別素晴らしいわけでもなかったため、この夢を諦めることにした。
  • 一方、目下のめり込んでいた英会話教室での英語の練習は、自分の成長を実感できていた。成長することがとても楽しいと感じるようになったのだった。
  • 英会話は勝ち負けの世界ではないことと、仲間とのチーム競技でもない。これがモチベーションを継続できた要因だったのかもしれない。
  • 迫は元々自分が日本の教育に馴染めていないことも分かっていたため、のめり込んでいる英語を伸ばして海外の大学進学にチャレンジすることを決意する。
  • なお、迫は元々高校初期の成績が悪かったため、その後の人生で海外どころか福岡を出ることすら考えていなかったという。

18歳頃 渡米し、コミュニティカレッジに入学

  • 迫は、アメリカに渡り、まずコミュニティカレッジに入学した。
  • アメリカでは、コミュニティカレッジで2年間基礎教養を学び、その後4年制の大学の3年時に編入するのが非常に一般的で、迫もこのルートを選んだ。

 恩師の後押しで、UCLAを第一志望に

  • 元々学力に自信のなかった迫は、アメリカで上位の大学に入ろうと思っていなかった。
  • しかし、コミュニティカレッジで出会った教員は迫に対してこんな言葉をかけてきた。

何を言ってるんだ!お前はすごく才能がある、本当に才能があるんだ。カリフォルニアならUCLAかバークレーを目指せ。お前はできる。俺が言うから間違いない
(出典)「アメリカ人恩師の言葉がキャリアの転機に偏差値38の高校生が世界で活躍するまで」Harvard Business Review

  • この言葉を信じた迫は、1日3時間の睡眠で猛勉強をし、好成績を維持した。

20歳頃 UCLA社会学部入学

  • 迫は、夢にも思っていなかったUCLAに入学を果たす。
  • やりたいことをやりなさい、ただ誇りを持ってやりなさいという父の言葉が迫を突き動かした結果だった。
  • 迫は、UCLAで社会学を専攻し、貧困などの問題に深い関心を抱いていた。
  • この時、研究を続けて社会学者になろうと考えていた。

 インドを放浪、社会学者の夢を諦める

  • 貧困に関心を抱いていた迫は、インドを旅する。
  • ここで、実際の貧困の現場を目の当たりにし、迫は社会学者の道を諦める。
  • 社会学者になっても社会を変えられないかもしれないという思いに達したからだった。

22歳頃 大学卒業後、日本に帰国し三菱商事に内定

  • 迫は、アメリカで就職をしなかった。
  • 当時アメリカで外国人が労働ビザを取得するのはUCLA卒であっても簡単ではなく、仮に就職できたとしても、日本担当になってしまうなど迫が惹かれるものではなかったのだった。
  • そこで、迫は日本に帰国し、世界各地で仕事をする機会のある総合商社三菱商事を就職先に選んだ。
  • 社会を変えるためには、自分でビジネスで実行力を磨きたい、そんな思いが商社へ就職する理由だった。

22歳頃 三菱商事入社までの8か月間、マザーハウスでインターン

  • 迫は、入社するまでの間、未だ一店舗も構えていない状態のマザーハウスでインターンとして働いていた。
  • マザーハウスでインターンをした理由は、ビジネスで途上国の現状を変えようとする事業をしていたからだった。
  • ここで迫は、マザーハウスでの日々に夢中になる。毎日朝から深夜まで働き、仲間と共に椅子で寝る日々はこれまで感じたことのない高揚感だった。

社会人時代

23歳頃 半年で三菱商事を退職

  • 迫は、三菱商事に入社後、そこでの仕事が自分がやりたいこととは大きく違っていることに気づいてしまう。
  • 周囲にいる優秀な社員などから受ける刺激はあるものの、マザーハウスで感じていたあの高揚感とは何か違っていた。
  • そして迫は、三菱商事を半年という短い期間で退職してしまう。

23歳頃 マザーハウスに社員として復帰

  • インターンをしていた時の高揚感が忘れられなかった迫は、マザーハウスに復帰する。
  • ベンチャーだったマザーハウスは、人手が足りておらず、迫は営業・財務・店舗設営・マーケティングなど多様な職務を遂行した。

26歳頃 台湾事業の立ち上げを経験

  • 迫がマザーハウスに復帰してから3年が経過した時、マザーハウスは台湾へ進出することにした。
  • 台湾進出の陣頭指揮を任されたのは迫だった。
  • 迫は台湾を任された2年間で全く0の状態から4店舗を開店させた。

28歳頃 自分の経営経験のない不甲斐なさ

  • 迫は、マザーハウスに戻ってから5年が経過したころ、自分が思い描いていたマザーハウスへの尽力を果たせていないと感じ始める。
  • 迫が描いていたのは、5年間で中国・ニューヨーク・ミラノ・パリへ進出することだったのだ。
  • しかし、実際は台湾での4店舗だけだった。他人が見れば十分褒められる実績にも、迫は満足できなかった。
  • 迫は自分に足りないものは本物の経営経験だと感じ始め、マザーハウスを去ることを決意する。

マザーハウスを退職するちょっと前くらいから「やはりトップリーダーになるべきではないか」という気持ちが膨らんでいきました。マザーハウスの社長をしていた山口などを見ていると、とにかく真似が出来ないほど経営にすべてを捧げていました。
それでも何年かが過ぎ、ある程度落ち着いて観察できるようになると「この人は強烈な個性の持ち主だけれど、多くの人がついてきている。なぜなんだ?」という関心がわき、私なりの答えが見えるようになったのです。
「自分自身が成長したり得をするために情熱を傾けているのではなく、この会社のことだけを考え、持っているエネルギーのすべてを注いでいる。この会社が成長して、社会に貢献するためには何を今なすべきなのか、だけを考え一心不乱に行動している。だから皆がついていきたくなるんだ」と。
(出典)「「プロ経営者」になる。〜経営者インタビュー〜 」CAREER INCUBATION

28歳頃 投資ファンドに転職

  • 迫は、経営の経験をしたいという悩みを友人の慎泰俊に打ち明けたところ、投資ファンドを紹介された。
  • そこで、迫は、靴修理や合鍵作成の店舗展開を行うミスターミニットの東南アジア事業回復を一任される。
  • 転職から約4ヵ月で、東南アジア事業の業績回復に貢献したことが認められる。

経営者時代

28歳頃 ミスターミニット社長就任

  • 迫は若干28歳にして、社長のポストについた。
  • 投資ファンドの先輩がメンターとして迫を支える構図ではあったが、迫が会社のトップに立ち、陣頭指揮を執ることに変わりはなかった。
  • しかし、社長のポストで企業経営を任されるのは、社員として業務を遂行するのとは大きく異なっていた。

28歳頃 メンターから「お前うざい」という言葉を投げかけられる

  • 迫は、社長として会社の現在の状態をどのように分析し、どのように改善すべきかというプランをまずメンターに説明した。
  • しかし、メンターから帰ってきた言葉は、「お前うざい」だった。
  • その真意は、机上の描かれる理想像だという指摘だった。
  • ミスターミニットは現場ありきの会社だった。
  • しかし、これまで現場側に属している職人たちは本社の人間からのアドバイスや指示は現場の現状を全く捉えられていないものという印象が強かった。
  • 現場に足を運ばずにアドバイスをしてくるエリート達の話を現場の職人たちが耳を傾けるはずがないのだった。

君が言ったことは9割くらい正しいはずだ。でもいくら正しくても受け入れられるかどうかは別問題だよ。40代の社員が20代の若造に正論を吐かれて、言うことを聞くと思う?
(出典)「経営者が語る人と組織の戦略と持論」リクルートマネジメントソリューション

28歳頃 現場の抱える悩みや要望を把握するため、店舗を回りの日々

  • 迫は、店舗を回り、どんな細かい要望も吸い上げた。
  • 熱いと言われれば扇風機、棚が欲しいと言われればつくり、靴修理の素材が悪いと言われれば私銭を崩してサンプルとして新しいものを持ち込んだ。