中国のNo.1ライドシェアサービスDiDi(滴滴出行)の創業者である程維(チェン・ウェイ)。彼の人生の岐路を振り返る。
幼少時代
0歳 中国江西省にて出生
- 程は、教育機関である父と数学教師である母の元、江西省東南部の小さな町で一般家庭に生まれた。
不本意な学生時代
18歳頃 大学受験失敗
- 程は、中国の激しい受験競争に十分に備え、中国のセンター試験の数学科目で確かな手ごたえを得ていた。
- 周囲の学生がまだ問題に取り組む中、程は最後の10分を残して全ての問題を解き終えていたからだ。
- しかし、試験結果を開くと驚くことに数学の点数は想像をはるかに下回る成績だった。
- 程は、数学の問題の最後の1ページを見逃していたのだった。
18歳頃 不本意な北京華工大学入学
- 程は、不本意にも中国で超名門との認識がされていない北京華工大学に入学することになった。
- さらに、程の専攻は、行政管理であり、北京華工大学が理工系大学であるにも関わらず文系科目の専攻になってしまった。
転職を繰り返した社会人時代
21歳頃 保険会社に就職するも、保険を売れずすぐに退職
- 程は、第一のキャリアとして保険会社に就職した。
- しかし、保険販売がうまくできず、すぐに転職する。
1年間で、7回も職を転々とする
- 中国で新卒者が非常に短期間の間に転職するのは稀なことではないが、程も同様に1年で7つの職を転々とした。
- 職を変え続けた理由は、程がスティーブ・ジョブズを尊敬しており、ジョブズの「大好きなことをまだ見つけていないのなら、見つけるまで探し続けることです。適当に手を打ってはいけません」という言葉を信じていたからだった。
ヘルスケア企業を名乗る会社に転職するも、1年で退職
- 程は、7回の転職の中でヘルスケア企業を名乗る企業にも就職した。
- しかし、実際に会社で働いてみるとそこは足裏マッサージの会社であった。
- 程は、アシスタントとして働いたが、1年後経過したまたしても会社を退職した。
彼は面白くないと感じ、彼は約1年後にセールスとしてアリババに転職しました。
(出典)「Didi’s Cheng Wei: Chinese patriot who tamed Uber」 ロイター(2016)
22歳頃 アリババにセールスとして転職
- 程は、友人が「アリババはとても良い」と勧めてきたため、履歴書を送り採用された。
- 法人営業としてアリババでのキャリアをスタートし、優れた成績によって最年少の地域マネージャーに昇進した。
28歳頃 AlipayのBtoCユニットの統括副部長に就任
- 程は、何度も繰り返した転職を経て、自分にとって最適な仕事を見つけ、順調に昇進してきていた。
- アリババ時代の規模も拡大し、周囲は中国最大のプラットフォーマー企業での今後のキャリアは安泰だと感じていた。
- しかし、翌年、程はそのキャリアを捨て、自ら起業する決意をする。
当初、私はアリペイで働いていましたが、ビジネスを始めることを決めた後、私は直接辞職せずに、さらに9か月間アリに滞在し、何をすべきかを考えました。
(出典)「滴滴CEO程维分享创业经历:创业很苦,但这个时代不创业会后悔 」搜狐 20170707
経営者時代
29歳頃 小桔科技(Xiaoju Technology)を創業
- 程は、2012年、ライドシェアサービスDiDi(滴滴)の母体となった小桔科技(Xiaoju Technology)を創業した。
- 創業の理由は、アリババ在籍時代に北京と杭州と行き来していたが、タクシーが捕まえられず飛行機に乗り遅れそうになることが多かったからだった。
- 創業当初、程は二つの課題に直面した。ソフトウェアの開発と、タクシードライバーとの提携だ。
事業を始めることを考えた後、私は周りの人々に相談しましたが、誰もがそれは信頼できないと言いました。しかし、これは正常であり、これは起業家精神の最初のレベルであり、このレベルを通過することによってのみ成功することが可能です。
(出典)「滴滴CEO程维分享创业经历:创业很苦,但这个时代不创业会后悔 」搜狐 20170707
第一の課題:ソフトウェアの外注
- 一つの目の課題ソフトウェアの開発は、完全に外注した。
- 程は、自分達で技術開発チームを作るよりも、他社の力を借りて外注したほうが早いし安いかもしれないという思いがあった。
- そこで実際にソフトウェア会社に見積もりを依頼してところ80,000人民元で開発が可能という答えが返ってきたため、すぐに依頼をした。
- 程は、ソフトウェアに関してほとんど知識がなく、スマホ向けソフトウェアがiOS、Android、フロントエンド、バックエンドに分かれていることすらも知らなかった。
- 最初に納品されたソフトウェアは使い物にならなかったが、改善に改善を重ねて少しずつ改良していった。
第二の課題:オフラインでの運転手探し
- 程は、仲間と共に「2ヵ月で1000台」という提携目標を立て、提携してくれるタクシー会社を探しに没頭した。
- 自信をもって会社を出発した仲間は、いつも落胆した顔で戻ってきた。
- タクシー会社は程らに「輸送委員会からの許可書があるか?」という質問を必ず投げかけて来たからだった。
- 新しいテクノロジーに比較的寛容な深圳においても同様の質問が返ってきたのだった。
- 結果的に40日経過して、提携できたタクシー車両数は0台だった。
小規模タクシー会社との提携が実現
- 日々提携を断られる日々が続く中、ある日、保有車両数70台の小規模なタクシー会社との提携が決まった。
- 小規模でも1社のタクシー会社と提携が決まると、その実績を持って他社を説得することが可能になり、提携タクシー会社の数は徐々に拡大していった。
- しかし、実際に運用を始めようとすると、ドライバーがスマホを保有していないというもう一つの課題が現れた。
- 2012年当時、中国ではスマホがまだ普及しておらず、スマートフォンを使用していたドライバーは100人中20人未満だった。
- ドライバーの講習会を開き、スマートフォンを保有することを促し、保有者にはアプリのダウンロードと使い方を指導していった。日々7~8人がインストールするようなスロースタートだったがその数も徐々に増加していった。
技術スタッフの確保に奔走
- 外注で始めたソフトウェア開発だったが、その信頼性が低く、程はいよいよ技術スタッフを確保しようと動き出す。
- アリババで働いていたことから、ソフトウェア技術者と面談をすることが容易であったが、アリババ、バイドゥ、テンセントなどの最先端起業から出ようとするエンジニアはいなかった。
- そんな中、程は、誤って見知らぬwe chatグループチャットに参加してしまい、人材紹介会社の人間と会話をする。
- そして、最終的に紹介されたのが、現在DiDiでCTOをしている張坊であった。
技術的課題に何度も直面するも乗り越えていく
- CTOとして張坊を迎え入れるも、その後も多くの技術的課題に直面した。
- サービスは稼働させ続けながら、ソフトウェアを改善していくのはサービスのローンチ前のそれとは難易度が異なるのだった。
- あるタクシードライバーからは詐欺だと言われたりしながらも、程は誠意を尽くしてサービス改善と利用者拡大に尽力し続けた。
雪の日に配車オーダーが1000件を突破
- 2012年の冬、突然配車オーダーが1000件を突破した。
- 特にマーケティングをしていたわけでもないが、突然オーダーが急増した理由は、北京の天気予報が雪を示していたからだった。
- 天気予報がDiDiのマーケティングの一躍を担ってくれていたのだった。
- 翌年以降の2013年、2014年はサービス展開地域で雪が降らなかったため、程は運を味方にしてサービスを最適なタイミングで拡大することに成功した。
DiDiフィーバーの幕開け
29歳頃 Tencentから1500万ドルの出資
- 2013年に入ると、中国におけるスマホの普及スピードは一気に加速し、それに伴いライドシェアサービスの需要も拡大した。
- 程は、競合他社である快滴打車(kuai di)との競争に勝つため、IT大手Tencentからの出資受け入れを決める。
- Tencentは、中国でスマホ保有者のほとんどが利用するチャットアプリ「we chat」の提供会社であり、この出資受け入れによりwe chatとの連携も加速し利用者は急速に拡大した。
32歳頃 競合である快滴(kuai di)との合併により滴滴快滴を統括
- 2015年、滴滴(DiDi)とTencent連合、快滴(kuai di)とアリババ連合という配車サービス大手の合併が実現した。
- これによって、社名は滴滴快滴に変更され中国で約80%のシェアを持つ配車サービス会社が誕生した。
- 程は、統合後もCEOとして会社の統括を担うことに。
32歳以降 資金調達と他社との提携・買収に注力
- 程は、2015年、Appleから10億ドル2017年、ソフトバンクから50億ドルの出資を受ける等企業規模の拡大をした。
- 一方、他国において配車サービスを提供するGrabやCareemなどとサービスを連携、また中国国内で競合していたUberの中国事業を買収するなど配車サービスを更に強化。
- トヨタ自動車を筆頭に、自動車メーカーとの提携も加速させあらゆる業界からの注目を集め続けている。
ストレスは人々を成長させ、絶望はブレークスルーをもたらします。最終的に、あなたが直面する課題と周りの仲間によって、自分は決まるのです。
(出典)「滴滴创始人程维的创业成功过程」澎湃新闻20191104