前澤友作 ゾゾ創業者

実業家

アパレルのオンラインショッピングサイトを運営する株式会社ZOZOの創業者である前澤友作。彼がどのような人生を歩んできたのか振り返る。

幼少時代

0歳 一般的な会社員の家庭の元、千葉県にて出生

学生時代

6歳頃 鎌ヶ谷市立東部小学校入学

  • 前澤は、競争が嫌いで、体育会気質の教育や、テストの成績順位が校内に貼り出されることに違和感を感じていた。
  • 正義感が強く、納得できないことは先生に抗議し、先生から完全に無視されていたこともある。
  • 小学4年生でおしゃれに目覚め、古着のリーバイスを履いていた。
  • 森で取ったクワガタを、クラスメイトに量り売りして利益を出すなど、直感的なビジネスの才も目覚め始めていた。

12歳頃 鎌ヶ谷市立鎌ヶ谷第二中学校入学

  • 前座は、中学に入ってからも小学校の時と同様に、先生と衝突するが多く、「悪の中枢はお前だ」と言われる経験をする。
  • この時に、ハードロック、ハードコア・パンクの音楽に傾倒し始め、バンド活動を始める。

15歳頃 早稲田実業高校入学

  • 前澤は、中学で音楽に傾倒しながらも、学業は得意であり、親が勧めた早稲田実業高校に入学した。
  • 早稲田の入学式では真っ赤なスニーカーを履いていき、普段は校則の学ランではなく私服で登校していた。
  • 1年時は皆勤賞だったが、千葉から東京まで毎日1時間半かけて通勤している時に、満員電車にのってつらそうにしている大人を見て、このままレールに乗っかって進学した後にある未来が嫌になる。
  • その後、週に2日登校、残りは校則違反のバイト(ガテン系)とライブハウスに行くという生活を繰り返すが、なんとか卒業する。

 

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――学校とバイトと音楽を両立していたということですね。

前澤:そうです。幸運にも僕の考えを理解してくれる先生に出会ったんです。考えてみるとユニークな高校生でした。バイトがある日は、朝起きると自宅からまず学校に「今日は建設現場の仕事に行って来ます」と電話を入れるんです。すると、その先生が「分かった。気をつけて行ってこい」と。そのうち「来れない日はちゃんと先生に連絡しろ。連絡さえすれば何とかしておくから」と配慮してくれて……この先生のおかげで僕は卒業することができたんです。
(出典:現代ビジネス「ZOZO前澤社長がいま明かす「私の幸福論、仕事の哲学」)

アメリカ音楽遊学時代

18歳頃 アメリカ、サンタモニカに音楽遊学

  • 前澤は、高校卒業後、早稲田大学へは進学せず、バイトで貯めたお金で半年間サンタモニカに音楽遊学する。
  • アメリカで、日本との価値観や文化の違いを直に感じることになった。
  • 現地のライブハウスを見て回ると、ライブ出演者は、自分たちのバンドの宣伝だけでなく、友人のバンドのCDやTシャツを売ってあげていたのだった。
  • また、前澤は、ライブハウスを回る以外にも、前澤好みのCDやレコードを大量に購入するなどしていた。

僕、『お金は使った分だけ自分が成長する。自分が成長するから使ったお金以上のお金が稼げるようになる。だから、お金は使えば使うだけ増える』ってずっと言ってるんですけど、それはこの時の経験があるからなんですね。当時の僕は海外のバンドのCDやレコードを集めるのにハマっていて、滅茶苦茶な買い方をしてたんですよ。生活費を切り詰めて、「あれも欲しい。これも欲しい」って片っ端から。
(出典:Yahoo Newsよりhttps://news.yahoo.co.jp/byline/yoppy/20180724-00090424/)

フリーター時代

 アメリカで購入したCD・レコードを日本のライブハウスで販売を開始

  • 前澤は、半年後に帰国し、日本で音楽活動を継続していた。
  • アメリカで見たライブハウスでのCD販売に影響を受け、仕入れたCDやレコードをライブハウスで販売するようになる。

20歳頃 CD・レコードのカタログによる通信販売を開始

  • ライブハウスでのCD・レコード販売が軌道に乗り、飛ぶように売れるようになる。
  • 販売している商品タイトルリストを載せたA4用紙を配ったところ、多くの反響があり、カタログ通信販売を開始することを決意。
  • 実家の6畳間を作業部屋とし、入ってきた注文をさばいていた。

経営者時代

23歳頃 合同会社スタートトゥデイを設立、同時に所属バンド「Switch Style」でメジャーデビュー

  • 会社設立の経緯は、個人で通販ビジネスを続け、雑誌に3行広告を出したところ、全国からの受注が集まるようになったからだった。
  • その後、自分だけでは手が回らなくなり、彼女や友人に手伝ってもらい規模が拡大し、法人化した。
  • 一方、所属バンドは、インディーズで数枚のレコードを発表した後、BMG JAPANから声がかかりメジャーデビューを果たす。

あの頃の僕は、起業して社長になったといっても、ドラムスティックを握っている瞬間が一番幸せでした。社会人としての経験も未熟で、足元もおぼつかないまま、中途半端に「音楽」と「会社」という二足のわらじを履いていたんです。
(出典:現代ビジネス「ZOZO前澤社長がいま明かす「私の幸福論、仕事の哲学」)

25歳頃 「STMonline」を開設し、カタログ通販からオンライン販売に切り替え

  • 通販カタログが100ページ、約2万部発行に到達し、オンライン販売開始を決意する。
  • カタログ通販をオンライン販売に切り替える時は、自身のあらゆるものに対するこだわりが強いことが影響し、システム業者に依頼しても満足いくものができず、自分で専門書を片手にプログラムを作成した。
  • オンライン化により、仕事量が軽減したのと、バンド活動注力への不安から従業員が15人から3人になってしまう苦境を経験する。

25歳頃 オンラインセレクトショップ「EPROZE」をオープン

  • ZOZOの前身となるオンラインセレクトショップ「EPROZE」を開設する。

26歳頃 ビジネスに専念するため、バンド活動を休止

29歳頃 「ZOZOTOWN」の運営を開始

  • 2004年、「EPROZE」への出店店舗が17店舗になったタイミングで「ZOZOTOWN」を開始。
  • ユナイテッドアローズがZOZOに出店することが決まり、成長は加速する。

ZOZOTOWNが成長する経緯に、UNITED ARROWS(ユナイテッドアローズ)様の参加という大きな転機があります。ZOZOTOWNを開設する1年前の2003年、当時社長をされていたユナイテッドアローズの重松現会長が弊社に興味を持って下さり、おひとりでふらりとこの幕張のオフィスに来られたことがありました。その日は僕と30分ほど談笑されて帰られたのですが、その後時をおかず「一緒にやりましょう」とご連絡を頂きました。このご縁をきっかけに、契約ブランド数が俄然増え、メディアへの露出が始まり、上場もして……と、正の連鎖が起こりました。あの時、あのタイミングで、重松さんのご決断が無ければ今はないかもしれないと思う豊かな巡りあわせには、心から感謝しています。
(出典:HIGHFLYERS HF/#4 Vol.3)

32歳頃 東証マザーズに上場

  • 2007年、上場時の時価総額は366億円に上った。

 

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37歳頃 東証一部に上場

  • 2012年、上場年に1日6時間労働制度「ろくじろう」を導入する。
  • 社内で不要な競争を避けるため、一律の基本給・ボーナスとする制度も採用した。

41歳~43歳頃 個人で、高額な買い物をし、世間により認知されるようになる

  • 2016年、バスキアの作品を約62.4億円で落札
  • 2017年、バスキアの絵画を約123億円で落札
  • 2018年、スペースXの月周回飛行計画への旅行客として契約

 

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 今、何となく雇われて仕事をしている人って多くないですか。でも、それじゃつまらないでしょう。何のためにあなたがそれをやるのか。そういった目的 や理念を持ってほしい。でも、「あなたが本当にやりたいことって何?」と聞かれて、答えられる人も少ない気がする。そんな人たちに言ってあげたいのは、何 でもいいから誰かのためになることをしてみようということ。例えばですが、あなたの彼女がお菓子好きだったとしたら、その彼女のために一所懸命お菓子づく りの勉強をして、ケーキショップの開業を目指してみる。そこまででなくても、両親を旅行に連れて行ってあげるために働くでもいい。自分の時間、経験、お金 を自分以外の人のために生かす。その対価として「ありがとう」という感謝が返ってくる。その喜びの素晴らしさを知った人は、働くことに対する世界観が変 わってくると思います。
(出典:DREAM GATE 「第51回 株式会社スタートトゥデイ 前澤友作」)

44歳頃 ZOZOをYahooに売却し、社長引退

  • 前澤は、新たな人生を始めるため、社長を引退決意する。
  • ZOZOはYahooに売却した上で、社長の座を後任に譲った。
  • 引退後は、新たなビジネスと始める予定である。
  • 「前回の決算で、前澤社長がZOZOビジネスにフルコミットメントすると言っていたが急に辞めるのはなぜか?」という記者からの質問に対して、「その時には本当にそう思っていたが、気持ちが変わった」と回答し、現在でも自由でロックな人生を歩む前澤節を披露した。

(出典:ZOZO、Yahoo提携記者会見)