ラリー・エリソン Oracle創業者

実業家

世界最大規模のソフトウェア会社オラクル(Oracle)の創業者であるラリー・エリソン。彼の人生を振り返る。

幼少時代

0歳 ニューヨークにて出生

  • 生みの親である母は、出産当時まだ19歳で、ラリーをシカゴに住む祖父母に預けた。
  • そのため、ラリーは祖父母の養子となり、48歳になるまで実の母親と会ったことがなかった。
  • また、父には生涯会ったことがない。

出典:BUSINESS INSIDER AUSTRALIA

学生時代

20歳頃 イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校に入学するも、2年で自主退学

  • ラリーは高校時代は無愛想な性格だったが、成績は優秀だったため、1962年にイリノイ大学に入学した。
  • しかし、周囲の強い薦めに従い、医者になることを目指してシカゴ大学医学部に入ることを決意し、イリノイ大学を2年で自主退学する。
  • 退学後、カリフォルニア州北部で夏を過ごした後、実家に戻る。

家族、先生、彼女皆が私が医者になることを願っていました。そして彼らの夢が、私の夢になりました。
(USC2016卒業者向け講演にて)

21歳頃 シカゴ大学に入学するも、1学期で再び自主退学

  • 在学中、医学部進学コースに在籍したが授業の難度に非常に苦労し、自主退学する。

出典:BUSINESS INSIDER AUSTRALIA

当時、自分には修行が足りないんだ、自分は身勝手な人間なんだと思っていた。
そのとおりだったのかもしれない。だが理由は何であれ、自分が理想とする人間になることは私にはできなかった。それで、無理してがんばることはもう止めることにした。
(出典:https://www.oracle.com/jp/corporate/features/pr/larry-ellison-to-graduates/)

社会人時代

22歳頃 カリフォルニアへ移住し、ロッククライミングのインストラクターとリバーガイドを始める

  • ラリーはシカゴ大学を中退した後、荷物をまとめて愛車のサンダーバードに詰め込み、自分探しの旅に出た。
  • 旅の途中、ヨセミテ渓谷で自然の美しさに魅せられたことで、約半年間ロッククライミングのインストラクターとリバーガイドとして働く。

20代半ば 数年間Wells Fargo、Amdahlに勤務し、プログラミングのスキルを身に着ける

  • ラリーは、ロッククライミングとリバーガイドだけでは十分な生活費を稼ぐことができず、週に何度かバークレーに戻りWells Fargo、Amdahlに勤務して生活していた。
  • 同時に、バークレーに戻ったときに航海学にのめりこみ、熱心に学んでいた。

出典:LA TIMES

好きというわけではなかったが、(仕事は)面白かった。それに、プログラミングが得意だった。数学の問題を解いたり、チェスをやったりするのと同じような達成感が得られた。数学もチェスも、10代でいろいろと悩み始める前までは楽しんでやっていたものだ
(USC2016卒業者向け講演にて)

29歳頃 ソフトウェア開発会社Ampexで働き始め、後のOracle共同創業者ボブとエドに出会う

  • Ampexでは、CIA向けのデータベースソフトの開発に携わっており、この時つけたソフトの名前が”Oracle”だった。
  • ラリーは、仕事に満足していたが、航海学のように面白くのめりこめるものがないか、なお模索していた。しかし、そのような仕事はないということに気づいた。
  • ラリーは。一か所に留まらず、新たな経験と挑戦を続けていた20代を振り返り、こう述べている。

日々、昨日知らなかったこと新しいこと・面白いことが学べる。そういうのが好きなんです。
(USC2016卒業者向け講演)

経営者時代

33歳頃 自己資金1400ドルでOracleを設立

  • ラリーは、様々な会社で仕事を経験したが、航海学のように面白いと感じられる仕事はないという結論に達し始めていた。そこで、自分で創業することを決断した。
  • 優秀なプログラマーを集め、不可能と言われていたリレーショナルデータベースを生み出した。
  • これは、IBMでも開発中であったが、実用に耐えうる製品を作成するのは難しいと言われていた常識外れの世界最先端の技術だった。
  • 創業当初は、人手不足でピザ配達に来た会計学を専攻している学生をその場で採用したこともあったほどだった。

出典:STEVE BLANK

いわゆるコンピュータの専門家の言うことはすべて間違っている、と考えていた。
専門家の言うことはすべて間違いだと口にすれば、最初は傲慢だとたしなめられ、次に、頭がおかしいと揶揄されるだろう。卒業生の皆さんに覚えておいてもらいたいのは、人に頭がおかしいと言われ始めたら、そのときこそあなたは人生で最も重要なイノベーションを起こそうとしているのかもしれない、ということだ。もちろん、本当に頭がおかしいという可能性もあるが。
(出典:https://www.oracle.com/jp/corporate/features/pr/larry-ellison-to-graduates/)

42歳頃 Oracleを上場させる

  • 1986年、当時のオラクルの売上は5500万ドルだったが、3年後には10倍の5億8400万ドルに達する。
  • しかし、1990年には初の赤字を経験する。

53歳頃 Appleの取締役に就任

  • スティーブ・ジョブズがApple社に復帰するタイミングで、ジョブズから声をかけられApple社の取締役に就任する。
  • ラリーは、ジョブズから顧客優位の考え方などを学び、親友と呼べる仲になっていた。ラリーの結婚式では、ジョブズがカメラマンを務めたこともある。

絶えず変化し続ける世界で、私たちにできることはムービング・ターゲット(移動する目標)を持つことだ。実験を繰り返し、挑戦することを恐れてはならない。専門家の妨害に怯むことなく、現状に異議を唱えるようにしてほしい。
こうあるべきだという理想の人物像ではなく、本当の自分を見つけるチャンスは誰にでもある。ほかの人の夢ではなく、自分自身の夢を叶えるチャンスがかならずあるはずだ。
(出典:https://www.oracle.com/jp/corporate/features/pr/larry-ellison-to-graduates/)